FXとRSI
[編集] 人口
1794年に103,000人(うち白人35,000人、解放奴隷とムラート38,000人、黒人奴隷30,000人)ほどだった人口は(ちなみに同時期のハイチは人口50万人を越えていた)、1930年には100万人を越し、第二次世界大戦後、急速な人口増により1960年のセンサスでは3,407,070人、1975年には4,697,000人となり、現在は人口でハイチを越えた。
[編集] 言語
言語はスペイン語が公用語であるが、移民によってハイチ・クレオール語やフランス語、ドイツ語、英語、イタリア語なども話されている。特にハイチ・クレオール語はハイチ人移民やその子孫によって、約120万人が話していると推測されている。ドミニカ共和国のスペイン語は、語彙の面でアラワク族の言葉の影響を大きく受けている。
[編集] 宗教
宗教は、ローマ・カトリックが64%である。[1]
ユダヤ人はヨーロッパでのナチスによる迫害から逃れたものが、1930年代後半になってからようやくドミニカ社会に現れるようになった。
[編集] 移民
1820年代のハイチ占領時のドミニカ共和国東部には、ハイチ政府の招きに応じてやってきたアメリカ合衆国の黒人奴隷が定住した。
1800年代後半から1900年代初頭にかけてはベネスエラ人、プエルト・リコ人の大規模な移民もあった。20世紀の初頭にはレバノン人が移住し、中国人やインド人の移民もあった。トルヒージョ大統領はドミニカを白人国家にしようとヨーロッパ系の移民を誘致したが、これは限定的な成果しか挙げなかった。1930年代後半から第二次世界大戦後はユダヤ人の移民が多かった。
主な移民としてはハイチ人、ドイツ人、イタリア人、フランス人、ユダヤ人、スペイン人、中国人、アメリカ合衆国人など。ごく少数だが日本人やアラブ人(特にレバノン人)の移民もあった。
近年はドミニカ人のアメリカ合衆国やプエルト・リコへの出稼ぎ移住が多い。
[編集] 日系移民
1954年 トルヒーヨ大統領、ドミニカ共和国における日系移民の募集開始。
1957年 渡航開始。しかし、入植した農地は募集要項に記載されたような好条件の場所ではなく、石礫地など農業に適さない土地であり、多数の入植者が苦しんだという。
1961年 トルヒーヨ失脚の政変をきっかけに入植地からの撤退、帰国事業が国費で行われる。
2000年 移住者が日本国を相手取り、ドミニカ移民訴訟が開始。
2003年 超党派で「ドミニカ共和国への日本人移住者問題解決を進める国会議員懇談会」(尾辻秀久会長)が結成される。
2006年 東京地方裁判所で移民訴訟判決。国の責任は認定されるが、移民事業の実施から20年以上が経過しており国家賠償法に基づく賠償請求権は消滅したとの判断により原告請求を全て棄却。その後政府が特別一時金を支払うことで、原告側も控訴を取り下げた。
[編集] 治安
ラテンアメリカ諸国の中では治安は比較的良い方だとされているが、それでも旅行者を標的にした犯罪は後を絶たない。また、ドミニカ共和国はコロンビアからのコカインの輸出中継地である。
[編集] 文化
詳細はドミニカ共和国の文化を参照
メレンゲの踊り
典型的なドミニカ共和国の食事ドミニカ共和国の文化はアラワク族の文化、西アフリカから移入された黒人の文化、スペイン人の文化の影響を受けている。近年は政情が安定しない隣国ハイチから逃れてくる人も多く、そうしたハイチ人の文化がドミニカ共和国の文化に更なる多様性をもたらしている。
[編集] 食文化
ドミニカ共和国の料理はタイノ人、スペイン、アフリカの影響によって成立している。オフォング。
[編集] 文学
文学としては、マヌエル・デ・ヘスス・ガルバンの『エンリキージョ』(1882年)が特に挙げられる。
[編集] 音楽
1840年代にメレンゲが生まれた。生まれた当初は田舎の野蛮な音楽という位置づけだったが、地道に伝承、発展が続けられ、1930年代以降にはメレンゲをこよなく愛した独裁者トルヒーヨによって国民文化として保護され、現在の地位に至っている。
1920年代の占領統治時代にアメリカ軍の兵士向けにメレンゲが発達し、パムビーチェが生まれ、1950年代にはバチャータが生まれた。
現在ではニューヨーク生まれのサルサも人気であり、在米ドミニカ人の活躍により、ドミニカ音楽の合衆国市場への進出も盛んである。
先物取引
[編集] 世界遺産
ドミニカ共和国国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件ある。詳細は、ドミニカ共和国の世界遺産を参照。
サント・ドミンゴの植民都市 - (1990年、文化遺産)
祝祭日 日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Ano Nuevo
1月6日 公現祭 Epifania, Santos Reyes Magos
1月21日 アルタグラシアの聖母 Virgen de la Altagracia
1月26日 フアン・パブロ・ドゥアルテの日 Dia de Juan Pablo Duarte
3月か4月 聖金曜日 Viernes Santo
5月1日 メーデー Dia del Trabajador FX
5月17日 国際コンタドールの日 Dia del Contador de las Americas
8月16日 民族維新の日 Restauracion Nacional
9月24日 メルセデスの聖母 Virgen de las Mercedes
11月6日 憲法記念日 Dia de la Constitucion
12月25日 クリスマス Navidad
[編集] スポーツ
キューバやプエルト・リコやベネスエラやニカラグアと同じく、19世紀後半以来アメリカ合衆国からもたらされた野球が大変盛んであり、サミー・ソーサなど同国のメジャー・リーグにも多くの選手を輩出している。
[編集] 脚注
外為・南アフリカランド
[編集] 参考文献
後藤政子『新現代のラテンアメリカ』 時事通信社、1993年(ISBN 4788793083)
二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩『世界現代史35 ラテンアメリカ現代史V』山川出版社、2006年
[編集] 関連項目
ドミニカ共和国関係記事の一覧
ドミニカ共和国の人物一覧
カープアカデミー
[編集] 外部リンク
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1 西インド諸島にも領土を有する。
2 中央アメリカと南アメリカに跨っている。
3 南アメリカにも分類され得る。
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